金魚スター、始動

今日の朝九時ごろ、長野怜英から電話があった。
「朝早くからごめん。ホールとるんだけど、名前借りていい?あ、金魚ね。」(本人は関西人ですが、俺が関西弁が使えないため、東京語に直して書いています)
「あぁ、 どうぞどうぞ。」と応えといた。
 
ついに来たか・・・・・・。
「やる」ことが半ば既成事実と化してたけど、実際ホールの予約をすることになると、いよいよ来たか、って感慨深い。
 
 
中学で入った部活が演劇部。アニヲタだった俺は声優の真似事したかったんだっけ。役者やったり、たまにスポットライトやったり。すこぶる楽しかった。村田先生はお元気だろうか。
福山とはたま〜〜〜〜に会うけど、他のメンバーには全く会わないな。みんな引っ越した?
 
高校では入部した放送部に、中学の演劇部の奴が兼部してきて、俺もいつの間にか演劇部に入らされてたなぁ・・・。
放送部では機材のスペシャリストをやってて、演劇でもいつの間にか音響をやってたんだっけ。
大学になってからも2回、同窓会やる機会があって(つーか高校関係の同窓会は、演劇しか出席してない)、けっこう楽しんだりした。サークル時代、公演の本番休んで同窓会行ったりしたのは内証。
 
大学では自ら望んで音響をやりたくて劇サーに入って、人付き合いの面でつまらなくなって、体力面での限界と勉強に力をいれたかったから、1年ちょいで辞めたんだ。
あの時、音響後輩の二人を鍛えられなかったことと、演出家の要求から二人を護れなかったことを、今は本当に後悔してる。もっと自由にやらせてあげたかった。
 
前回の金魚スターで長野から声がかかったとき、本当に嬉しかったな。
サークル時代は「これが俺の作品だ」って言える音響が出来ず仕舞いで、自ら辞めたとはいえ大学での演劇が中途半端なままだったのが本当に情けなくて、自分で納得できる劇がやりたかった。
結果、初日は音響的に散々だったけど、そこから修正した結果自分が納得できる音響が出来たと思ってる。俺の演劇生活の中で一番楽しくやれた舞台だった。
 
それで俺もついに大学4年。演劇生活10年目。
音響システム組みの手伝いはたまにやらされるけど、システム組むだけじゃ音響とはいえないよな。
 
 
時間軸は今日に戻る。長野がホールを取って、来年の三月、俺たちの「卒業公演」の位置づけで、二度目で多分最後の金魚スターをやることになる。そして多分、俺の薄っぺらい10年間の演劇生活最後の舞台になるんだろう。
 
きっと卒論や学会発表で忙しくて、オペレーターはできないだろう。
ホールでどれだけ作業できる時間があるのか、見当もつかないし、誰と一緒に音響を作っていくのかすら全くわからない。
 
でも、大学で共に演劇をやった友人と創る最後の作品の、そして10年間俺の演劇生活の集大成となるだろう作品の、最終回の幕が下りる瞬間のことを想像すると今からでも胸が熱くなる。