pizzicato fiveとcapsule

先日友人にcapsuleの最新アルバム「NEXus-2060」を借りて、今聴いてます。

今日はそれに関連した話を。
 
さて、capsuleはよくpizzicato fiveと比べられます。
「21世紀のピチカートファイヴ」と言われることもあります。


でも、ずっと何かが決定的に違うような気がしてたのです。
 
もちろん、今のカプセルには全盛期のピチカートのような引き出しの多さはありません。
シングルで「メッセージソング」(ギターポップ)、「モナムール東京」(70年代歌謡風味)、「IT's a beautiful day」(小西の王道)を同時期に出していたのがピチカートです。そういうのはごく一部だったという噂もありますが。
それと比べたら、カプセルは完全に何を作っても「カプセルのアレンジ」になってしまっているのが残念です。なにも「大いなるマンネリ」までマネしなくても。
 
でも、それは中田ヤスタカ本人の好みなのだろうし、「何かが足りない」というよりは「引き算をやってない」という感じなので、今後変わっていくかもしれません。
それに、インディーズ〜メジャー1stにかけてはそこまで一本調子ではなかったみたいですし。
 
カプセルがピチカートのパクリだといわれる部分は多分「トーキョー」という単語の出てくる多さにあると思うのです。
僕の感じる違いは、両者の「トーキョー」が別のものであることから来るのだと思います。
 
ピチカート(小西康陽)の東京観は「大人の街」です。イメージは夜の六本木って感じで、華やかだけどどこか悲しい街です。
それに対しカプセル(中田ヤスタカ)の描く東京はまるで夢の国です。現在から少し未来にかけての渋谷ハチ公口方面って雰囲気です。
 
視点の違いもさることながら、時代の違いもあるのでしょうね。
 
 
ちなみに、僕にとっての東京は本ご・・・ぐふっ。
入学後2年たってようやく行けるようになったキャンパスの周辺ですね。
歩いて30分圏内にジャニスを筆頭とする御茶ノ水音楽街と美術のメッカ・上野があり、山の手と下町の狭間にある夢の街ですよ。
いやー、四月から楽しみだ。