Perfumeが生み出す未来

懲りずにPerfumeシリーズ3日目でございます。
 
GAMEがJPOPの歴史を変え得る傑作であることは間違いありません。
しかし、このような事件が過去に何度もあったことを、私たちは知っています。
その結果、大衆音楽はどう変わって行ったのか、自分なりにおさらいすることで、Perfumeが日本の大衆音楽に与える影響を考えてみたいと思います。
考察対象は、昨日名前を挙げた、YMOとFlipper's Guitarです。僕は彼らのブレイクをリアルタイムでは知りませんので、いろいろと伝聞が入りますが。
 
YMOのブレイクは、間違いなく日本の大衆音楽の中で最大の事件です。
それは、「テクノポップ」という新しいジャンルの萌芽であり、例えインストであっても、質の高い音楽は世間に受け入れられうる、という証明でもありました。
時を同じくして、音楽界はこぞってはっぴいえんど・キャラメルママ人脈にこぞって楽曲の製作を依頼し、その結果、「木綿のハンカチーフ」「赤いスイートピー」といった希代の名曲が生まれています。
この時代、確かに彼ら、音楽マニアであるミュージシャン達は時代に勝ったのです。
俺なんかは、この時代は、今から考えると夢のような時代だったのではないかと想像しちゃいます。
 
YMOの散開後、テクノポップの後を継いだのはTMネットワークでした。彼らは良質なテクノ歌謡を世に出し、電子音楽をより大衆向けのものにしていきました。そこまではよかったのです、そこまでは。
TMNがあった頃は一定のレベルを保っていた小室哲哉の楽曲は、その解散後、あまりの多忙からか玉石混合、というよりは多くの石のなかにたまに玉、という状況に陥りました。でもって、その石達も、玉に混ざって売れてしまった。若いリスナーには、それを判断する耳が備わっていなかったのです。
その狂った状況が、小室の没落後も続いていた、というのが、少し前のエイベ全盛期なのかなぁ、と思います。
YMOがおこしたテクノポップ革命は、最悪の形でJPOPのスタンダードになったのです。
 
JPOPの主な購買層は高校生です。それは今も昔も変わりません。
その年代のリスナーは、まだ耳が肥えていないため、とかく単純にかっこいいものや感動できるものに走りがちです。俺も昔はそうでした。
結果、売れ線の曲は、耳障りのよさだけを求めがちです。中高生でもわかる歌詞、単純なコード進行etc...
80年代の終盤、バンドブーム全盛の頃、その状況をあざ笑うかのように彗星のごとく現れたのが渋谷系の代表選手、フリッパーズギターでした。
あからさまな洋楽のパクリ、ジャズなどを取り入れた斬新かつ複雑なコード進行、他のバンドとは比較にならない文学的な歌詞・・・「解るやつだけ解ればいい」みたいなバンドが、中高生向けバンドを差し置いて一般大衆にとどいたのです。
「本当にいい音楽が売れる時代がやってくる」多くの音楽マニアたちは、そんな夢を彼らに託しました。しかし、それは夢のままで終わったのです。
真正我侭なクソガキであったフリッパーズギターは、音楽性の違いから周囲の迷惑も顧みずに解散。
小山田圭吾は地下にもぐり、表舞台に立った小沢健二はメディアにその歌詞ではなく「東大卒のボンボン」というキャラを評価されるようになりました。
フリッパーズ亡き後、巨星・ピチカートファイヴのブレイクこそあったものの、多くのフォロワーが彼らのレベルに到達することはなく、彼らに次ぐ可能性があったCymbalsがデビューした90年代後半には、 「音楽マニアによる骨太な音楽」であった渋谷系は、「お洒落を標榜して浮き足立った音楽」と曲解され消費されてしまっていたのです。
 
個人的に思い入れのあるバンドだったので、熱く語ってしまいましたが、JPOP界は、異質な音楽がブレイクすると、その表面だけをなぞって消費する、という歴史を繰り返してきたのです。
俺はアイドル論には詳しくないので、Perfumeの3人が変えたといわれるアイドルフォーマットについては言及しませんが、音楽面に関しては、中田ヤスタカのジャンル的引き出しの広さ、奔放さと日本人の心をくすぐるメロディセンスを理解せずにフォロワーになる輩が出てくることは間違いありません。
上記の歴史を繰り返さないためには、リスナー側が浮き足立たずに、いいものと悪いものを判断していくしかないのだと思います。
 
結局何が言いたいかって言うと、Puppy love最高!ってことだ。